三軒茶屋の写真と情報集
今も古きよき時代の面影を残す三軒茶屋。今は無き玉電の分岐駅として栄えていったこの地のぬくもりを紹介する。
東京都世田谷区にある三軒茶屋は大山道(現在の国道246号線)と登戸道(世田谷通り)の分岐点として発展し、江戸時代中期に信楽、角屋、田中屋の三軒の茶屋が存在したことから、後年に三軒茶屋と呼ばれるようになった。明治時代になると、1907年に玉川電気鉄道により渋谷-玉川間(現在の田園都市線)が開業し、三軒茶屋はその途中駅として栄えた。さらに、大正時代になると、1925年に三軒茶屋-下高井戸間(現在の世田谷線)が開業し、三軒茶屋は両路線の分岐点となった。昭和になると、沿線の宅地化の進行によるモータリゼーションと大量輸送手段の必要性から、国道246号線沿いに首都高速3号渋谷線と営団地下鉄半蔵門線に接続する地下鉄道の建設計画ができ、1969年に現在の世田谷線を残して、玉川電気鉄道の路線は全て廃止された。1977年に新玉川線として地下に渋谷-二子玉川間が開業し、田園都市線として路線延長と名称変更をして現在に至る。
現在は存在しないが、三軒茶屋は映画館がある街だった。三軒茶屋中央劇場は1952/7/16に松竹の封切り館として開館し、洋画2本立ての名画座として路線変更後、2013/2/14に閉館、その後解体された。 三軒茶屋東映は1954年に東映の封切館として開館し、1973年に現在の建物に改築、名画座として路線変更、1997年に三軒茶屋シネマに名称を変更後、2014/7/20に長期展望の不透明さと施設老朽化により閉館した。 これを持って、往時には三軒茶屋映画劇場を含めて3館あった三軒茶屋の映画館が全て消滅した。
三軒茶屋のレトロな映画館
参考ページ
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