毛越寺境内附鎮守社跡の歴史と写真素材
特別史跡
歴史と見所
毛越寺は中尊寺と同様慈覚大師を開祖とし、正式には医王山毛越寺という。藤原二代基衡により建立された寺院で、「吾妻鏡」には、初代清衡が建てた中尊寺の「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇也」に対して「四十余宇、禅坊五百余宇」と書かれている。昭和29年から5年間にわたる発掘調査の結果において、中尊寺をはるかに凌ぐ大寺院だったことが証明された。四十余宇のうち主な堂塔は、金堂(円隆寺)、講堂、経蔵、常行堂、吉祥堂、千手堂、観自在王院、喜祥寺などであったといわれが、残念ながら往時の伽藍は嘉禄2年(1226年)と天正元年(1573年)の火災で焼失し、わずかに残った常行堂と法華堂も慶長2年(1597年)の野火により焼失したと伝えらていれる。
毛越寺には2代藤原基衡が造園した日本最古の浄土庭園があり、国の特別史跡、特別名勝に指定されている。毛越寺の庭園は州浜や築山、出島石組と池中立石が配された大泉ケ池(大泉が池)を中心に極楽浄土を地上に表現したものといわれる。平安時代の作庭様式を伝える貴重な遺構の遣水は、池に水を取り入れるための水路で、玉石を底に敷きつめ、水の曲がり角や池への注ぎ口には石組みが配されている。平安時代の浄土庭園が近年の発掘調査の結果をもとにして復元されている。その中心をなした大泉ケ池は、東西180m、南北90mあり、その昔は、南大門から中島、さらに金堂(円隆寺)へと続く2つの橋で東西に分けられ、この池に龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船を浮かべ、管弦の楽を奏したといわれる。
観自在王院跡は藤原基衡の妻が建立した。寺域は東西120m、南北約180mで、浄土庭園には大小の阿弥陀堂が建っていたといわれている。観自在王院跡は毛越寺とともに特別史跡に指定されている。観自在王院跡の庭園も毛越寺と同様に平安時代の庭作りの秘伝書である作庭記にならって造られたと言われている。
写真集(毛越寺跡)
写真集(観自在王院跡)
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参考ページ
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