フランス・モナコ旅行の風景写真 5日目
(2008年夏)
目次
5日目はアヴィニョンから世界遺産のポン・デュ・ガール(ガール橋)に向かい、午後からはニームを見学というプラン。アヴィニョン・サントルからポン・デュ・ガールまではアレ(Ales)行きのA15のバスを使う。所要時間は約45分で6.80€、1日4~7便、土曜日と日曜日の運行が少ない。ポン・デュ・ガールからニームまでも同じくバスを使う。こちらは所要時間約40分で、€6.50€、1日4~7便、日曜日の運行が少ない。
ポン・デュ・ガールはユゼスからニームまでを結ぶ約50kmの水道橋の途中にあるガルドン川に架かる橋で、古代ローマ時代・紀元前19年頃にアグリッパにより建設されたとされる。ポン・デュ・ガールは3層構造になっており、最下層は道路、最上層は水道が通る。
ニームはフランス最古のローマ都市で、古代闘技場、メゾン・カレ、ディアヌ神殿等の当時の遺跡が残っている。特にヨーロッパ各地にあるローマ帝国の建物の中で、特に古代闘技場とメゾン・カレの保存状態が非常に良い。
ニームを見学した後は荷物の関係で、一度アヴィニョンまで戻り、この日の宿泊地リヨンに向かう。アヴィニョンからリヨンまでは普通電車で2時間40分程度で、1時間に1本程度、TGVを使う場合、アヴィニョン・サントルからバスでアヴィニョン・TGVに向かう。こちらも1時間に1本程度。
ポン・デュ・ガールはユゼスからニームまでを結ぶ約50kmの水道橋の途中にあるガルドン川に架かる橋で、古代ローマ時代・紀元前19年頃にアグリッパにより建設されたとされる。ポン・デュ・ガールは3層構造になっており、最下層は道路、最上層は水道が通る。
ニームはフランス最古のローマ都市で、古代闘技場、メゾン・カレ、ディアヌ神殿等の当時の遺跡が残っている。特にヨーロッパ各地にあるローマ帝国の建物の中で、特に古代闘技場とメゾン・カレの保存状態が非常に良い。
ニームを見学した後は荷物の関係で、一度アヴィニョンまで戻り、この日の宿泊地リヨンに向かう。アヴィニョンからリヨンまでは普通電車で2時間40分程度で、1時間に1本程度、TGVを使う場合、アヴィニョン・サントルからバスでアヴィニョン・TGVに向かう。こちらも1時間に1本程度。
アヴィニョン~ポン・デュ・ガール
早起きをして6:40アヴィニョン駅前発のバスでポン・デュ・ガールに向かう。時間が早いために、駅前の人影はまばら。アヴィニョンを出発してしばらくすると、突然バスが敷地に入って停車して、車両の乗り換えがあった。みんな同じように動くので、それほど不安はなかったが眠気は覚める。どうやらこれは通常の乗り換えらしい。でも、時刻表からは読み取れない。その後、バスは市街地を抜けて周囲に草地が広がり、人工物がかなり少ない田舎の方に向かっていった。
ポン・デュ・ガール
7時間頃にポン・デュ・ガールに到着。この時間に到着する人は数人程度。バスを降りてもそれらしきものは見えないし、さらに地図もなかったので、どっちの方に行けば良いかちょっと迷う。キョロキョロすると道路の脇に方向が示されていたのでしばらく歩く。すると、駐車場とミュージアムがまず見えてきた。それらを抜けて、さらに5分くらい歩くとポン・デュ・ガールが見えてきた。感想は大きいし、とてもしっかりと建っている。でも、細長くて高いのでバランスが悪く、若干不安を感じる。2000年前に建設されたとは思えないくらい保存状態が良い。さらに、最下層部分は道路になっていて歩ける。手すりはあるものの、建てられてからの年月を考えると歩くのがちょっと怖い。対岸まで行くと河原に降りたり、3層目の水路を歩くこともできる。残念ながら、橋と接続される水路は対岸にとぎれとぎれ残っている程度。水を引くために、ここまでする古代ローマ人の水に対する必死さが伝わる水道橋だった。
ニーム
やや駆け足気味だったけれども、ポン・デュ・ガールを満喫したので、10時25分ごろポン・デュ・ガールからの路線バスに乗って南仏・プロバンス最後の見学地ニームに移動する。ニームでは駅に近い大通りでバスが停車。バスを降りてからは、古代闘技場の脇を抜けて、ビクトル・ユーゴ通りを歩く。しばらくすると、メゾン・カレが見えてきた。メゾン・カレはギリシャのパルテノン神殿のような建物で、紀前16年頃にローマ帝国により建てられた建物とのこと。ニームのものは特に保存状態が良い古代神殿らしい。創建以来、何度も修復されていたようだが、柱の一部は風化して今にも崩れそうな感じ。そんな訳で、残念ながら一部修復中により覆いが被さっていた。 午前中見学したポン・デュ・ガールはこのニームの街に水を供給するためのもの。
ニーム・フォンテーヌ庭園・カヴァリエの丘
古代闘技場の脇を抜けて、ニーム・フォンテーヌ庭園に向かう。日本語にすると泉水公園となる。フォンテーヌ庭園は古代ニーム人の信仰していた泉があった場所。当時はこの地に神殿、劇場、浴場などがあったようだが、現在はディアヌ神殿があるのみ。フォンテーヌ公園自体は18世紀に立てられたとのこと。と言っても、既に300年近く経過しているから凄い。また、カヴァリエの丘には紀元前1世紀に建てられたマーニュ塔がある。マーニュ塔は紀元1世紀に建てられた城壁の一部で、建設当時は3階建だったとのこと。内部に入ることもでき、ニームの街を展望できたらしい…
ニーム
フォンテーヌ庭園を見学した後は、アントニン広場やマルシェ広場や旧市街を通って1kmちょっと先の円形闘技場に向かう。マルシェ広場の池には街のシンボルのヤシの木に鎖につながれたワニのオブジェがある。これは古代ローマ帝国がニームを征服した際に、戦功のあった戦士にニームの町が与えられた事に端を発していて、古代ローマ帝国がナイル川の象徴であるワニを鎖でつないだ、つまりエジプトを征服したことを意味しているとのこと。旧市街の道は細く、両脇はそれなりに店らしき形跡が伺えるものの、平日の日中のためか人通りは少ない。マルシェ広場には比較的レストランが集まっている。
ニーム・円形闘技場
ニームの古代闘技場はローマのコロッセオと同じ時期の紀元1世紀頃の建設。収容観客数は約21000人、大きさは133x101mに及ぶ。保存状態は非常に良く約2000年前の建物とは思えない。オランジュやアルルと同じように原形がはっきりわかる。当時は剣闘士と猛獣の争いや、奴隷同士の闘いが開催された。一方、現在は闘技場としてではなく、ダンスやロックコンサート場として時々使われている。中に入る前に、まずは古代闘技場の外周を一周。内部はところどころ崩落している場所もあるが、全体的に当時のまま残っているという印象。コンサート等に利用するために鉄パイプで組まれた椅子席がところどころ広がっている。
ニーム ~ リヨン
次の訪問地、リヨンに向けて出発。 朝、預けた荷物をとりにアヴィニョン駅で途中下車。ニームとアヴィニョン間の所要時間は30分位。時間帯によっては電車の本数が少ないが、今回はうまくいった。その後、16:41分発の電車でリヨンまで向かう。アヴィニョンからリヨンの車中からの景色はこんな感じ。穀倉地帯やワイン用のぶどう畑が一面に広がったのどかな景色が電車の移動とともに流れていく。はるか遠方まで農地が続く。フランスはEUの農業生産額の約2割を占め、EUでトップの農業国とのこと。時々、道路と並走するけれども、人も車も殆ど見かけない。延々と続くこの景色を見ながら、こういう場所に生まれ育ったらどんな生活をするのか空想にふける。
リヨン
この日はもう移動だけと割りきって普通電車で移動したけれども、景色をただ見ているだけだったのでちょっと飽き気味。アヴィニョンを出発してから約2時間40分後の19時過ぎにリヨンに到着。外はまだ明るい。9月にはなっていたが、今日もまた遅い時間まで明るいヨーロッパの夏を感じる。この日は街をウロウロする時間は殆ど無いので、とりあえず駅構内や駅でゆっくり写真撮影。駅構内に止まっていた電車や乗った電車は、いわゆるヨーロッパを感じた機関車と長い客車という構成ではなく、前後に運転席が付いた電車ばかりだったことに驚き。リヨン近郊までを含めるとフランス第二の都市圏だというのに、フランス国鉄の人影はまばら。写真には写っていないけれども、地下鉄や路面電車の駅にはそれなりの人はいる。
参考ページ
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